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自己紹介

Roccó Satoshi

R-16でグラフティーをはじめた自分があり、少なからず責任を感じています。
じぶんは自分‥。じぶんのことだけをやっていこうという自分。
もう一人はドアを空けたのはじぶんだからしっかり見つめ責任を持っていくべきだ。
高架下を再活性する事だ! いつもこの二人が心の内で戦っています。

ART-16

桜木町高架下のグラフティーで逮捕者が出てしまった。その場のグラフティーの流れは、4期に分かれる。1期は、70年代後半よりロコが1人で描き続けた約10年間の時代。そして’89年の横浜博覧会前後より、絵を描きたい人が参加してきた時代を2期とする。3期としては、’92年のサンディエゴ・横浜現代美術展、姉妹都市交流としてアメリカ西海岸のアーティスト達と日本側のアーティスト達のオムニバスな壁画制作が行われた。民間、横浜市、警察からも実行委員を出したイベントは、市民が楽しむ時代文化の場として公に認知された事は、大切な意味を持つ。そしてその後、スプレー缶によるグラフティーにより無法地帯となってしまった現代に至るのが4期だ。 ロコが描き続けた後、2期の人々が参加していたころの表現は暖かさがあった。お互い表現しているものに対し、敬意を払い、その上から塗りつぶして自己表現をする者はほとんどいなかった。3期の行政、市のバックアップしていた時期も、空いている所に制作が行われた。↙


ウォールペインター

ロコサトシ

 4期に入りそれは、ものの見事に崩れていった。スプレー缶を使ったグラフティーだ。全部が全部、同じDNAを持ったかのように個性がなく、画一化された表現だ。3期までの表現とは全く意味合いが違ってきた。そのグラフティーはそもそもアメリカのニューヨーク、ロスアンゼルスの方で表れるべくして表れた表現手段だ。人種差別、イデオロギー、貧困、教育問題、殺人、バイオレンス、ドラッグ等々・・・.それらを抱えた社会で当然のように表出してくるだろう若年層のチームの縄張り争い、どうにもならない社会、政治への反発、訴え。街のあらゆる所にチームの刻印を吹き付け、自分達の存在を訴える。その表現方法の内には、ドラッグ等の取引の内容を巧みに暗号化して組み入れる事すらあるらしい。日本の場合は、それがただファッションとして入ってきて、チーマーたちのよいオモチャになっている。表現としては暴力的で醜悪なものが多い。それらにチーマーたちは、かっこよさを見つけ自分達の存在理由を重ねているのだろう。ただ、これがファッションとして通り過ぎるならまだ心配がないが、この種のグラフティーが蓋を開けたとき、先に連ねたようなバイオレンスがぎっしりと詰まっているのだ。
 桜木町高架下は、横浜市民の楽しみの場であり表現者とのコミュニケーションの空間でもあった。合法的でなく市民の気持ちだけで市民権を得る事は、本当の意味でアートの役割であるはずだ。法と芸術とは全く違う土俵に位置している。法の力を借りず光り輝く場所になるのは長い年月を必要とするのだ。悪い犯罪はささいな事でもニュースになる。しかし楽しい「犯罪」がニュースになるのはその数百倍も数千倍も努力が必要なのだ。まさにその法則通りそれと同じように今のグラフティーが、あっという間に高架下を恥部にしてしまった。↗

 

 その場を蘇らす事は並大抵ではない。そもそも最初のロコの行為ですら、訴える側が出てくれば犯罪なのだから。アートとは、その意味自体すらいいかげんなもので、どこからどこまでがアートなのか、表現のどの範囲が市民に受け入れられるかはっきりとした決まりなどないのだ。決まりを作ったところで余計おかしなものになるだろう。これは各々の感性に問いかけるしかない。その都度その都度様々な人に意見を聞き、様々な視点から見つめ話し合うしかないのだ。わかっている事は、今の高架下は市民からだんだん遠ざかり、暴力的な場になっている事だ。それを一つでも解きほぐし、再び楽しめる場、喜びのある場、メッセージ性を持つ空間、表現者と見る側のコミュニケーションの取れる場に戻さなくてはならないはずだ。一言でグラフティーをやっている連中を避難しても解決にはならない。現代社会の表出が、そのグラフティーに暴力となって見えはじめたのは、彼らだけのせいではない。それは日本の社会全体の問題なのだ。学校、家庭、街、これらが三位一体となって少しずつ変えていくしかない。経済成長のみを重視してきた日本社会のひずみが、今その膿を溢れ出して、それが特に若年層の生活と身体と精神を蝕んでいる。壊れていく学校教育、会話のない家庭、寄り道を許さない街づくり、すべてが子供達の自由の精神と可能性を奪っている。
高架下を復活する事は、この街づくりに大きな意味を持つはずである。視覚的寄り道から心の寄り道へ。街のコミュニケーションの場になりえるはず。
 本来のパブリックアートの意味はここにあると思います。少なくとも大規模な建築業界の世界でアート的なオブジェを発注するシステムより計り知れない重要な意味を持っているはずです。

 

HISTORY

作品履歴

with KIDS

子どもと一緒に

絵本<ねこのマイティ>シリーズ
第1弾「ばくはつマイティ」
ぼくが みた ゆめは とっても すごい ゆめだった!
第2弾「マイティのWorld News」
みんなにつたえたいのは せかいじゅうにとどくよ

 

絵本<ねこのマイティ>シリーズ
第3弾「たまごのマイティ」
ぼくは なんかいも うまれてくるよ
第4弾「マイティとお月さま」
きみのかえるばしょを いっしょにさがしてあげる